哲学の道ならぬ、哲学のお山
みなさん、こんにちは。BMIA理事(大阪)の岡田です。
突然ですが、私にとっては特別なお山があります。滋賀県びわ湖西、比良山系の真ん中あたりにある八雲ヶ原という高層湿原一帯です。
はじめて訪れてから約12年、最近ではなかなか時間が取れませんが、ある意味わが家みたいな存在、それでも休日は可能な限り訪れ(帰宅し?)ています。
歩くルートも、この数年は毎回同じです。
以前よく、「飽きない?」と問われることがありました。
飽きるどころか…毎回のように、今までにはなかったようなハッとするちょっとした発見があって、いつまでも新鮮なのです。
昨日(3月7日)は、沢の流れの中で、浮かんでは消えるあぶくというかブクブクにハッとさせられました。とても言語化できないけど、確かに今までには感じたことのない、そして、心の内から湧き上がってくるようなとても心地いい感覚。
この感覚…言い換えると、新たな価値ですよね。
沢の流れはいつもとさほどは変わらないはずなんです。では、何があって、新たな価値が生まれたのでしょうか?
それは、おそらく私の側の文脈の変化なのでしょう。それが私の感性というアンテナに微妙な変化を生じさせ、そのアンテナがその新たなここちいい感覚をキャッチしたのかもしれません。
となると、この新たな価値は、いつもと変わらない沢の流れと、ちょっとだけ変わった私とによる“共創”の結果生まれたものであると言えるかもしれません。
これをビジネスシーンにあてはめてみると、価値は常にお客さんとの共創で成り立っていることが、より腑に落ちやすい感がします。
ともすると、お客さんにとっての価値は、サプライヤーたる企業側が生み出しているような感覚に陥りやすいですがそうではない。そもそも、お客さんが「価値である」と認識しない限りは価値は生まれないわけで、そういう意味では確かに共創関係ですし、特に近年は、企業とお客さんがまるで一体となったような価値創造のプロセスの必要性が唱えられることが増えてきているようにも感じます。
昨日は、さらに思考が進みました。
価値は企業とお客さんによる共創であり、仮に企業が提供する商品・サービスがさほど変わらずとも、お客さん側の文脈−アンテナたる感性が変わるだけで新たな価値が生まれるとするなら…
新たな価値が次々と生まれてくるような「価値デザイン社会」(2018年内閣府「知的財産戦略ビジョン」にて示されたビジョンとしての概念)の実現は、企業側におけるイノベーション活動のみならず、生活者、社会全体の感性レベルが向上するだけでも為し得るのではないか?
あらゆるモノ・サービスが溢れ、コモディティ化している今、むしろその方が現実的であり、かつ、早いのではないか?
ひょっとしたらその「社会全体の感性レベルの引き上げ」が、アートやデザイン、いや、もっと広くとらえて様々な「文化にかかわる取り組み・活動」の、現代における存在意義として、より重きを増してくるのではないか?
そこにもし私が何らかの関わりを持つとしたら、それは?
哲学とまでは言えないかもしれませんが、わたし的には、まるで哲学の道を歩いているような感覚、“哲学のお山”ですね。
自然の中を歩きながら、知的散歩もする…自然には、それに相応しい不思議な力があるのかもしれませんね。
みなさんには、そんな“哲学の○○”あります?
もし特段のものがなければ、それを求めて、自然の中に足を踏み入れてみてもいいかもしれませんね。
それでは。
(文責:岡田明穂)